バスは何にもない砂漠地域と延々と続くサトウキビ畑を進み、 10時ごろチクラヨの町へ。 さ~て、これから観光だ!
①「Paseo de las Musas(女神達の公園)」
フランス大使とチクラヨの市長さんの名前が石に刻まれてた。
姉妹都市なのかしらん? イマイチ分かりません。
バスを降りる前、ガイドが一番最初に発した言葉は
「チクラヨは子供のスリがすごく多いから、荷物には十分注意して!」だった。
こんな田舎っぽい町でも、そういう軽犯罪は多いのねぇ。
残念なことだわ。
ただののんびりした公園。
モトタクシーも健在。
チクラヨの中心地、アルマス広場へ。
このカテドラルはすごくきれいだと思ったら、1915年建設。 まだ新しい。
ペルー北部海岸地域で一番大きい町はトルヒーヨだけど、
商業的に重要なのは、ここチクラヨらしい。
メルカド・モデロという北部最大の市場があって、トルヒーヨやカハマルカ、
そしてエクアドルからの物資もここに集まる。
それと、クランデーロと言う呪術師御用達の呪いグッズ屋がたくさんあるんだって!
ペルー北部海岸地区には、まだまだこういう呪術師?がいっぱいいるとかなんとか。
そんなメルカド行ってみたかったな~。
でも治安はちょっと悪そうだった×
ホテルの上に巨大な鳥さん発見。
カラスじゃないよねぇ?ハゲワシ?
アルマス広場には、こんな金粉もどきが着いてる木があった。
この辺でセマナサンタの行進(イエスの人形や十字架を乗せたお神輿を担いで回るの)とかあったのかな?
さっきの公園もそうだったけど、 こういう団体ツアーになると、必ず集合に遅れる人がいる。 それも必ず決まった人が遅れる。 こうしてツアーもどんどん遅れていく・・・ 辛い。
さて、②「Museo Nacional de Sica'n(シカン博物館)」に到着。
ここは写真撮り放題! 素晴らしい!
まずはちょっとご説明。
ペルー北部海岸地域にモチェ文化が栄えたのが
紀元前後から紀元後700年くらい。
その後750年ごろ興ったのが、このシカン文化です。
後のチムー文化に滅ぼされる1375年まで続いたとされます。
入り口すぐにあった各文化の特徴を現した一覧。
とっても分かりやすい。
ちなみにモチェよりも昔の、「Vicu's(ビクス文化)」というのは
紀元前500年~紀元後300年に栄えたらしい。 いやはや、すごいね。
1991年、現・南イリノイ大学教授の島田泉氏が
日本のTBSの協力によって3年越しで発掘調査したシカン遺跡。
この絵は「Huaca Loro(ワカ・ロロ)」(奥)と、その周りの様子を表したもの。
南北に伸びるプラットホームの付け根、
赤い点が「Tumba Este(東の墓)」。
ここの地下11mの地点から、
数体の人骨と夥しい数の黄金が発見!
ワカ・ロロ始め、すぺての建造物は
こうしたアドベ(日干し煉瓦)でできている。
職人グループごとにいろんなマークが。
文字じゃなく顔とか書いてて可愛い。
そしてこれがその東の墓の全容!
こんなにも複雑な層になってる墓って?
そして、それを全て解明した調査隊にも脱帽。
胡坐をかく形で、逆さに埋葬されていた主。
埋葬というか行き倒れ?のような生贄も。
この主、何が一番不思議かと言うと、
首を切り落とされていること!
その頭は上下正常な形で西を向いて、
真っ赤に塗られた黄金の仮面をつけて埋葬されていた。
主の下の大きな手は手袋らしい。
これも西を向いて手に黄金のコップを持っている。
王、もしくはそれに順ずる人の首を切り落とすなんて?
しかも天地逆に埋葬するなんて?
地面をはさんで、黄泉の世界を正反対に表した?
それなら何故首をいちいち切り落として、頭だけ普通に置くの?
結構強烈な印象だったなぁ、これは。
「Anteca'mara(前の、最初の部屋)」という名の墓。
(島田泉氏によると「中央墓室」というらしい。)
これも主と手袋は西を向いてる。
シカンにとって西は重要な方角なのか?
四方の壁に穴があいてて、
リャマの骨や貝、木綿や竹の繊維状のものが発見された。
しかし黄金製品はない。
東の墓では、あれだけ黄金が出てきたのに・・・
こんな不思議な形・内容を持った墓、他の文化では見られないだろう。
ちなみに、シカンの黄金は金・銀・銅の合金で、
銅の含有率が高いと腐食が激しい。
この主の冠の一部はきれいに残っていた(=金の含有率が高い)が、
ほとんどの部分やマスクは、相当腐食していたそうだ。
魚や波がモチーフのシカンの絵。
いかに海との接点が多かったか。
Anteca'maraの主の想像図。
発掘された壷の模様のつけ方。
スタンプだったらしい。
「Sala TBS(TBSの部屋)」と付けられた、黄金品の展示室。
まあ シカン発掘に3年間もスポンサーとしてお金だしたんだから
これくらいはしてもらわないとねぇ? TBSさん(笑)
御輿の復元モデル。
担ぐ部分には、猫科の動物の飾りがついている。
発掘現場の様子。
苦労の様子が垣間見れる。
島田泉氏とローカルスタッフ。
ローカルは働かないねぇ(苦笑)
スポンディルス貝や石臼?
黄金以外の出土品たち。
貝って何百年経っても色あせないで丈夫。
黄金の装飾品。
セニョール・シカンの復元図。
なかなかの男前だったとお見受けしました。
東の墓で発見された仮面。
コウモリを模ったと思われる飾りがついてる。
長さ110cm、迫力!
赤い色は高貴な人を表す色。
そして吊り上った目は、シカンの特徴。
文字のない文化だけに、今もなぜこのような埋葬方法なのか
まったく解明されてない。
生贄も女性がほとんどだったらしいが、妻たちか?巫女たちか?
もっと掘ればもっと何かでてきそうなワカ・ロロ周辺。
興味の尽きない文化です。
お昼はLambayeque(ランバイエケ)に行ってから頂く。 海が近いこの辺りの名物は、やっぱり魚。 お肉のメニューもあったけど、2人とも魚を選択。
魚を味付けして身をほぐした
Batea(バテア)という料理。
見た目は悪いけど、実はとっても美味しい!
こちらはCebada(セバダ)という煮込み。
臭みもなくさっぱりしてた。
魚自体が新鮮なんだねー
ツアーのご飯だからあまり期待してなかったけど、
他のペルー人のお客さんも満足そう。
一緒のテーブルになったカップルは、このツアーのあと途中で降りて
どこかの町に行くんだそうだ。
そこではセマナサンタの大きなお祭り(ミサ?)があって、
それに参加するんだって。
うーん、この時期アンデス方面に行くと各地で色んな催しがあって楽しそう!
今回は遺跡めぐりが中心だけど、いつかそういうお祭りにも行ってみたいな。
さて、しっかり腹ごしらえもできたところで 次の目玉へ♪
③「Museo Tumbas Reales de Sipa'n(シパン王墓博物館)」
モチェ文化末期の王、「Sen~or Sipa'n(セニョール・シパン)」と、
その父と思われる「Sen~or Viejo(セニョール・ビエホ/老シパン王ってとこか?)」の墓、
その墓から出土した黄金の数々が見所の博物館。
しかし写真撮影不可なうえに、カメラや携帯も全部ロッカーに預けなきゃいけない超厳重体制!
更に、入る前にも荷物チェックがあるってんだから、すごいわー
ポケットの小銭やベルトでもピーッ!
1987年に発見されたシパン王の墓。
朝、バスの中で見たビデオにあった黄金の数々。
物凄い量で説明もあんまり頭に入んない(苦笑)
というか、真っ暗な室内に浮かび上がる黄金や模型を見てると、
ちょっと酔っちゃう感じだ×
印象に残ってるのは、もちろんあの金と銀のピーナツの首飾りだけど、
他にもスポンディルス貝とラピスラズリや黄金を使った首飾りたち。
貝や石を2~3mm大のビーズにして穴を開けて糸を通すなんて、
今の技術でも相当難しいのでは?
それを何重にも連ねて、模様まで付けてある。
ビデオでこういう発掘品の保存方法をやってたが、気の遠くなるような作業だった。
刷毛で砂を掃き、ゴムと石灰を混ぜたような液体をそっと流し、
ばらばらになったビーズを1段1段はがし、そして復元。 脱帽。
彼らはAiapaec(アイアパエック)という神を一番大切にしてた。
「El Creador(クレアドール/創造神)」なんだって。
でも日本の八百万信仰のように、色んな動物をも神様にしてたみたい。
例えば、ふくろうやねずみ、ワシ、鹿、イグアナ、クモ・・・
一番笑えるのは「Hombre Cangrejo(カニ男)」!!
モチェ文化は戦闘と生贄の文化。
シカンでは女性の生贄が多かったが、こちらはほとんどが戦争捕虜。
ガンガン攻めてはどんどん殺す。
血にまみれた文化だったようだ。
中は写真撮れなかったけど、博物館の外の壁にこんな絵が。
シカンと比べても、なんか好戦的な感じがしますなぁ。
真っ暗で疲れはしたけど、でも価値のある博物館でした。
さてお次は、 ④「Fa'brica de King Kong San Roque(キングコンクの工場・サン・ロケ)」 昨日の民芸市で売られてたチクラヨの銘菓?の工場兼販売所へ。 1920年創業、老舗でございます。 でも正直、美味しいお菓子・・・ じゃない。 中のクリームは甘いし、ビスケットはもうパサパサでお麩みたいだし。 でもみんな物凄い勢いで買うんだよね~ やっぱ地元銘菓の味ってのは、地元の人にしか分からないのかしらん? (私は一生分からなくてもいいとは思ってます/笑)
なぜか仁王立ちのお客さん。
営業妨害でしょ、それじゃ。
メイドちゃんとアパートの管理人へのお土産。
彼らは喜んでたから、やっぱ美味しい?
⑤「Pimentel(ピメンテル)」と言う町にある海岸へ。
特に説明もなく、休憩時間も20分ととっても中途半端。
ちょっとしたお土産物の出店もあったけど、とってもイマイチで、
しょうがないからプラプラと散歩するのみ。
もう少し時間が合ったら、あの桟橋まで行けたのになぁ~
他のお客さんもバスからそんな遠くにはいけず、近くでのんびりするだけだった。
しか~しっ!
ここでもやっぱり超マイペースというかペルー時間なカップルが!
20分って言ってるのに、30分経っても帰ってこない。
少々時間にルーズでも気にしないのがペルー人だけど、
もう陽も暮れかけてるし、みんな早く次に行って帰りたいから怒り出した。
「ちょっと誰が帰ってこないの?」
「またあのカップルよ! ほら、セニョールと若い女の子の!」
「まぁ、また? いい加減にしてよね!」
「ガイド!運転手!彼らを探してきて!」
と言うわけで、お疲れのガイドと運転手も探しに行った。
年齢差のある見るからに不倫カップルっぽい2人。
もうっ! もしかしてあの桟橋まで行っちゃったんじゃない?
結局50分くらいしてやっと帰ってきた。
バスの中が険悪なムードになったら嫌だなぁ・・・ って思ってた私。
でも。
「ヒューヒュー! どこ行ってたんだい?」
「仲いいねぇ! 2人で飲んでたんだろう?」
冷やかしの声はすれど、怒る人はなし。
ほっとしたような、拍子抜けしたような。
日本だったら絶対「団体行動なのに!」と怒る人がいると思う。
でもその辺が大らかな、というかいい加減な?ペルー人。
心配した私がバカみたい。
やっぱりペルーにおいてはペルー式にいかねば(笑)
ピメンテルの夕日。
無事全員揃ったバスは、また走り出す。
⑥14.5km続くという「Santa Rosa(サンタ ロサ)」の海岸を走る。
この辺りは治安が悪いらしい。
貧しそうな村、ボロボロの船。
それでも夕日はとても美しかった。
この辺りでもトトラ舟が使われてる。
でも有名なワンチャコのとは微妙に違い
お尻の部分が縛られてません。
⑦「Monsefu'(モンセフ)」
ここはお土産屋さんが並ぶ通り。
彫り物や籠、キングコングなどのお菓子が売られてる。
こういうお土産には興味がないんだよなー
かえる、かえる・・・ あった!
木の実を加工して作られたかえるのキーホルダーを発見♪
顔がぶちゃいくだけど、チクラヨの思い出に1匹つれて帰りました。
もう辺りは真っ暗。 朝早かったツアー、早くホテルに帰りたい。 でも実はまだ一ヶ所行ってない場所があった。 ガイドはもう帰ることを提案したが、 他の客は「お金払ったんだから、連れて行きなさいよ!」と譲らない。 どんなステキな場所なのかと思ったら・・・
こんなの×
⑧「Pacasmayo Paseo Peru-Ecuador y Malecon
(パカスマヨ ペルー・エクアドルの友情公園と防波堤)」
こんなに暗くなってから公園なんかに来ても、なーんにも見えなーいっ!
写真はブレブレだし寒いし、何のために来たんだか?
このタツノオトシゴ公園、エクアドルのペルー国境近くにもまったく同じのがあって、
両国の友情を示してるんだとか。
でもさー ただの公園でしょ? タツノオトシゴの。
しかも防波堤なんて見えやしないしーっ!
私はトイレ休憩の場としての思い出しかありません(苦笑)
帰りのバスの中で。 ガイドが「これはフィクションだけど、モチェ時代の映画だから面白いよ。」 と、1本のDVDを流してくれた。 「モチェのある時代、巨大な勢力を持つ王国があった。 彼らがどうやって神殿建設の労働力となる奴隷や生贄を得ていたか、 そのターゲットとなった近隣の村々の悲劇、 その中でなんとか生き抜こうとする主人公・・・」 みたいな話。 セリフは少なく、見てたら十分想像できる内容だったけど、 もう殺戮シーンが多すぎ! 今の戦争物と違って、1対1で生々しく殺しあう。 生贄の心臓も内臓も、首も手足もそのまんま見せる・・・
ぐぇ~ 気持ち悪い。 映画見て酔っちゃった。 空から爆弾でバーンも悲惨だけど、こういうのもグロいなぁ。
朝6時15分にホテルを出て、帰ってきたのが夜の10時45分。 正直なところ、むちゃくちゃハードなツアーだった(涙) 博物館だけでよかったんだけどなー でもそれじゃあお客さんが集まらないのかしら。 それでも2000円ほどでこの内容って感動的♪
この日はルームサービス取って、部屋でゆっくりしました。 お疲れ様~!