ペルーの暮らしを楽しむ会、「ペルー研究会」。 そのペル研で、リマ市内からパンアメリカン・ハイウェイを南へ30km行ったところにある 「Pachacámac(パチャカマック遺跡)」に 行ってきました。 もちろんお話をして下さるのは、 天野博物館の阪根さんです♪
★翌年2007年8月にも友達と行ったので、 その時の写真も入れてご紹介します★
ケチュア語で「大地(パチャ)の創造者(カマック)」、 パチャカマック遺跡はインカ時代の遺跡・・・
と思ってる人もいるかもしれませんが、 いえいえ、そんな新しいものではございません。 紀元200年ごろから人が住み着いた痕跡がある、古い古い遺跡なんです。
200年ごろと言えばリマ文化の時代。 その後、この地域はワリ文化に含まれる。 そしてワリ時代の600年ごろから、この海岸地域にパチャカマック信仰が始まった。 当時はまだまだ小さな一地方の神様だったパチャカマックを 一大信仰にしたのが、900年ごろから興った「イチマ文化」です。 この博物館では「Ischma」、もしくは「Ishmay」、 こちらのプロジェクトでは「Ychsma」などとなっており 表記・読み方等、統一されてません。 なんせアンデス文明は文字のない文明。 誰も本当のことなんて 分からないんです。
インカが海岸地域を制圧したのが、1450~1460年。 スペインに滅ぼされたのが1532年。 だからインカがここを支配したのはたった60~70年ほどという訳。 でも、残念ならが現在残っている物のほとんどは、インカ時代の物。 なぜなら、その前のパチャカマックの建造物の上に インカが後から建造したものだから。 だから、今ある遺跡を全部取り除けば、 ここほれワンワン状態で古い遺跡が出てくるかも? とは言え、そんなことは無理なのだけど・・・
(2007年8月撮影)
遺跡の入り口前、お土産屋の向かいにあるlこの囲いは
実は現在(06年時点)発掘されてる中で一番古い、プレインカの遺跡。
こんな風に、アドベ(レンガ)と木を使った建造物はインカにはなく
リマ文化と同時期のものと思われる。
昔はルリン川の豊かな水のおかげで
ここも緑豊かなオアシスだった。
しかし何も考えず侵略・破壊を繰り返した
スペイン人によって、
大切な水路が遮断されてしまった。
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(2007年8月撮影)当時の水路の跡。 |
1920年、ドイツのマックス・フォン・ウーレによって発掘されたパチャカマック。 その後、ペルー考古学の父、Julio C. Tello(フリオ・テージョ)が後を引き継ぐ。 当時は全てが砂に埋もれていた。 それをよくまあ、ここまで発掘したもんだ。
なんか困ったじーちゃんって感じだね(笑)
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さて最初は・・・
月の神殿。
アクヤワシ(太陽の処女)と言われる巫女が数千人単位で住んでいた。
神や王に捧げる織物や酒を造ったり、祭ったり。
クスコからの要人のもてなしにも使われ、当時のインカ経済にも組み込まれた場所だった。
(2007年現在、ガイドをつければ中も見学できるようです。)
『天皇陛下が皇太子時代にここにおいでになった。
彼が『ここに来てみたかったんですよ』と言って手をついた石が中にあるが、
日本人にばれるとみんなが触って石が磨り減ってしまうので、内緒にしています。』
こぼれ話・・・ ということで♪
巫女達が沐浴した場所・・・ かな?
月の神殿の大きな特徴として、「入り口が1つしかない事」がある。
侵入者がないように、そして中の乙女達も勝手にでないようにと
門番が見守っていたとか。
スペインが占領した時、ある男がさらし者にされていた。
聞くと、「アクヤワシに夜這いして捕まった」と・・・。
文献に残ってる・・・んだそうだ。 ほんと???
文献ついでに、こぼれ話その2。
インカの皇帝アタワルパを捕らえたピサロら、スペイン人。
ある時アタワルパにこんな事を聞いてみた。
『もし我々スペイン人が、逆にお前達インカに負けて捕まっていたらどうしたか?』
アタワルパはこう答えた。
『お前らは白くてヒゲがあって面白い。
だから去勢してアクヤワシの門番にするつもりだった。
あと、馬をどんどん増やして使ってみたかった。』
農耕民族には“去勢”という概念はないもの。
“人や動物を去勢して何かの任務に使う”という事を知っていたインカ。
彼らが農耕民族という特徴だけでなく、牧民の性格も兼ね備えていたことが分かる話。
ここから太陽の神殿が見える。
右側、小高い丘のようになってる部分が、太陽の神殿。
でも、このパチャカマック遺跡で一番大切な場所は、 本当はここ↓
バスの斜め左下に、段々畑みたいな横線があるの、見えます?
あれが本当の「Templo Pintado=パチャカマック神殿」の跡!!
と、このご説明は、またのちほど♪
「J.B.」と名づけられたピラミッド型の神殿。
イチマ時代、1100~1500年の物。
正面の大きな広場から、ピラミッドの真ん中あたりまで続くスロープが特徴。
このピラミッドの裏側には、食糧貯蔵庫がある。
「Tauri Chumbi Palace(タウリチュンビの屋敷跡)」
タウリは役職名、チュンビはこの人物の名前と思われる。
インカ時代、この辺りを治める為にクスコから派遣された、最後の代官の屋敷跡。
クスコから海岸地域に下りてきてリマを建設中に
ピサロがこの屋敷に逗留していた。
ボロボロになった屋敷の向こうには、プエブロ・ホーベンが広がる。
「Pueblo Joven(若い町)」=リマの貧民街。
貧しさから逃れるため仕事を求めてリマにやってくる人は後を絶ちません。
そんな彼らが集まって造っていった町が、プエブロ・ホーベン。
砂漠地帯の水も電気もない場所に、少しずつ少しずつ家を建て、町をつくり・・・
こうしてリマはどんどん広がっていく。
道の右奥が「ロス・キプスの家」。
(2007年8月撮影)
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去年よりどんどん発掘されてるな~
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私達もどんどん奥へ・・・
太陽の神殿に行く途中、こんななーんにもない砂漠で車を降りる私達。
足元をよーく見ると、
骨っ!
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ここは月の神殿から見えた「パチャカマック神殿」の麓。 そう、ここは“墓地”! 神官や貴族・金持ちなど、一部の特権階級だけが眠る墓地なのだそうだ。 少しでもパチャカマックの神の側で眠りにつきたいと、 場所取り?のために相当な貢物がされた・・・ らしい。
そしてここが「Templo Pintado=パチャカマック神殿」!
Pintadoは“絵を描く、ペンキを塗る”、
だから本当は「彩られた神殿」ってところでしょうか?
「あれ、アヒルだよ! 絶対アヒル!」
と、友達と盛り上がった絵♪
(2007年8月撮影)
段々畑に見えてたのは、この神殿跡。 赤やクリーム色で彩色された壁には、ピューマや魚、鳥、竜(?)に乗った人間まで描かれてるそうだ。 残念ならどんどん風化しており、50年前までみれたそれらの模様も 今となってはほとんど判別不可能に。 あと数十年もすれば、この色さえ消えてしまうんだろうなぁ・・・
墓地あたりからパチャカマックの神殿方向を見上げると、 その向こうにインカの「太陽の神殿」が見える仕組み。 (中央一番上、遥かかなたにかすんで見えるとんがったのが「太陽の神殿」)
インカ帝国がこれだけ広まった理由のひとつに、 相手を征服しても奴隷にしない、権利を守る、その民族の信仰を保障し神を祭ることも許す。 というのがあるそうだ。 人って自分達の信仰心を侵された時、ものすごい反発をするけど、 信仰が守られるとなると案外ころっと服従するもの。 特にパチャカマック信仰は根強く、 いかにインカとは言え、この信仰を止めることは不可能だったのだろう。
『お前達の神を祭ってもよい。 でも、インカの神ビラコチャもよろしくね♪』
そう言われて安心していたパチャカマックの信者たち。 でも気がついたら、一番大切な神殿の更に上に太陽の神殿が造られてて、 あちこちからパチャカマックを拝みに来た人たちは、 知らず知らずのうちに、ビラコチャにも頭を下げることになった。
『ありゃ~? 俺はパチャカマックの神さんに祈りを捧げてるのか? それともビラコチャの神か? ま、両方拝んどけ!』
なーんて言ったかどうかは知りませんが、 なんとも上手い支配方法じゃないですかねぇ?
さて・・・ やっとそのビラコチャ神の神殿に向かいます。
地元の子供も社会見学?で来てました。 かわいー。
真っ赤に塗られていたと言う
太陽の神殿。
一部にその色が残ってる。
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壁が一段窪んだ造り。
神聖な場所への入り口は
全てこうなっていて分かりやすい。
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壁は近くで取れる粘板岩。
でも1つだけこの近くでは取れない
凝灰岩があり、フリオ先生を悩ませた。
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“ドクトル・フリオの石”として、
一部では有名な石。
って、ごくごく一部ね(笑)
今では60km下った谷からこの凝灰岩が取れることが分かってます。 |
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神殿頂上から見えるこの島、鯨の形をしてるんです。
ここから鯨神信仰とか、魚が御神体だったという説もあり。
こぼれ話 その3
諸国を漫遊していた太陽神ビラコチャが、ちょうどこの地を訪れた時のこと。 ルリン川のある村に来た時、とても美しい女神カリアカを見つけました。 彼女は聖なるルクマの木の下で機織をしていました。
ちょっとした悪戯心を起こしたビラコチャは、ハトに化け、 そのルクマの木に止まり、自分の精子をそのルクマの実に入れ、彼女の前に落としました。 何も知らずにその実を食べたカリアカは妊娠し、1人の女の子を産みました。
『誰がこの子の父親か?』
近隣のものどもを集め、赤ん坊の父親を探したところ、赤ん坊は1人歩みだし、 ノミやシラミだらけのとてもみすぼらしい乞食の前にちょこんと座ってこう言いました。
『この人がお父さんです。』
そう、その乞食は悪戯好きなビラコチャが化けた姿だったのです。
大勢の目の前で恥をかかされたと思ったカリアカは 赤ん坊を連れ、 どんどんルリン川を下って行ってしまいました。 悪戯が過ぎたと慌てたビラコチャも、彼女に真実を告げようと追いかけました。
なかなかカリアカに追いつけないビラコチャ。 その時1羽のコンドルに出会いました。
『カリアカとその子を知らないか?』 ビラコチャが尋ねます。 『さっき通ったばかりです。 今なら間に合いますよ』 コンドルは答えました。 『お前はいい奴だ。 だからたくましい羽と強い爪を与えよう』 こうしてコンドルは、ビラコチャから大きくて力強い羽と鋭い爪を貰いました。
その後、今度はキツネにあいました。
『カリアカとその子を知らないか?』 ビラコチャが尋ねます。 『もう随分前に去って行ったよ。 もう間に合わないよ』 キツネは冷たく答えました。 『なんて奴だ。 お前は一生狩人に追われる人生にしてやる』 こうしてキツネは、いつもいつも狩人から追われる身になりました。
一生懸命追いかけましたが、ビラコチャはとうとうカリアカに真実を伝えることができませんでした。 悲嘆にくれたカリアカは、赤ん坊と一緒に海に身を投げてしまったのです。 こうしてパチャカマック沖にカリアカの島(パチャカマック島)ができました。
右の鯨島がカリアカ、左の小さい島が赤ん坊、 そして点々とある小さな島は、カリアカの涙・・・
『どうしてカリアカを止めなかったんだ』 ビラコチャはこの辺りを治めていたパチャカマックに文句を言おうとしましたが、 あいにく出かけていて不在でした。
でもその代わりパチャカマックの妻ウルピワチャックがいました。 『どうしてカリアカを止めなかったんだ』 ビラコチャが怒ります。 『そんなの 知らないわよ』 ウルピワチャックも言い返しました。 怒ったビラコチャはウルピの持っていた大きな湖と海との境界を壊してしまいました。
その昔。 太平洋には1匹の魚もいなかったと言われています。 世界中の魚は全てウルピの大きな湖にだけ集められていたと。 でもビラコチャが彼女の湖を壊したことで、世界の海はたくさんの魚がいる豊かな海になったのです。
頂上から少し北側を向いた辺り。
砂に埋もれた神殿からみると、一部だけ緑豊かな地になってるのが分かる。
この辺りがウルピの湖だったというお話。
インカの神が上、パチャカマックの神は下。
ビラコチャ信仰を広めたいけど、むやみにパチャカマックを非難すると
返って強い反発を招く。
でもビラコチャの素晴らしさは伝えなければならない・・・
インカの神話というのは、何かと苦労の跡が見受けられて楽しいものである♪
その緑の手前あたりがウルピの神殿跡だったらしいが・・・
今ではなんとなく基礎の石の部分が見えるだけ。 残念。
私達が車で通ってきた道路の両側には
ピサロ達がここに逗留していた間、御前試合を行ったとされる場所もある。
こぼれ話 その4
カハマルカで拘束されたインカの皇帝アタワルパは、
『そんなに金が欲しいならパチャカマックにあるから それをやる』
とスペイン人達に言いました。
そしてピサロの弟エルナンドが、2週間かけてカハマルカからこの地にやってきました。
しかし、チャスキからその情報を聞いたワスカル(クスコにいたアタワルパの兄弟)は、
前出の代官、タウリ・チュンピに
『スペイン人が来る前にパチャカマックの財宝を運べ』と命じました。
ある月夜の晩、黄金を積んだ数百頭ものリャマが、どこか闇へと消えて行きました。
だからインカの財宝は、まだどこかに眠っているはず・・・
今でもよくある、『インカの黄金伝説』の1つです。
確かにエルナンドがここの来た時に黄金を奪っているが、
リャマ20数頭分だったと言われている。
パチャカマックは、インカでも侵すことのできなかった一大聖地。
ただの神を祭るだけの神殿ではなく、自治権さえ持っていたといわれる宗教都市でもあった。
だから納められた黄金が、たったそれだけの量とは到底思えない。
こんな話がまことしやかに伝えられても、おかしくはない・・・ のである(?)
一見何にもない砂漠。
でも城壁のようなものも見える。
今はどんどんプエブロ・ホーベンが広がってるけど、
あの地域の下を掘れば、まだまだパチャカマックの遺跡がでる可能性があるそうだ。
黄金を取りつくしたスペイン人達は、この神殿に火を放った。
何もかもが燃え崩れてしまったパチャカマック。
当時の人々は この地が無くなるなんて想像もしていなかっただろう。
征服から十数年後の1550年ごろのスペイン人旅行者の手記によると、
『パチャカマックにはもっともっと黄金が埋もれてるはず!』
と、欲に目のくらんだスペイン人達が、そこかしこを掘り
ぼこぼこの穴だらけにしたそうだ。
でも、黄金がでたかどうかは 定かではない。
なんとも情けないというか、横暴の限りを尽くしていたものである。
ティランゼアという、パイナップルの一種。
根をもたず、空気中の水分を葉から吸収して育つ。
なんともこの荒れたパチャカマックの地にふさわしい植物だ。
こうして、阪根さんによる特別講義が終了! こんなにパチャカマック遺跡が大切な遺跡だったなんて、ぜんぜん知らなかった。 ガイドブックはおろか、ガイドさんだってこんな説明してくれない。 やはり専門家からのお話というのは、本当に価値のあるものだと実感。。。
この後Sさんお勧めのお店で、 「パチャマンカ(大地の鍋)」料理を食べにGO♪
鶏・豚・牛にジャガイモやソラマメ。
蒸し焼きにされたお肉の美味しいこと!
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こちらはチチャロン(豚肉)。
ほどよく油が落ちてて最高。
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チチャロン・デ・マリスコス。
同じチチャロンでもこちらはフライです。
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とうもろこしの粉を味付けし
葉っぱで包んで蒸したタマル。
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今日は本当に有意義な1日だでした。 いままでも遺跡とか大好きだったけど、 知れば知るほど、もっともっと楽しくなる! あと、インカの神話も面白い。 『ビラコチャがコンドルに強い羽を与えた・・・』 なんて、日本の神話でも似たようなのがありそうでしょ?
文字のなかったインカ文明。 今残ってる神話は全て口頭で受け継がれたものをスペイン人達が書き取ったもの。 その過程でキリスト教的見地から書き換えられたものも多いだろうし、 失ったものは計り知れない。 でもやっぱり、興味は尽きないものである。