Tierra del Fuego (火の大地)の中心部に位置し、マルティアル山脈を背後に頂き、眼前にビーグル水道を望む。
積雪に備えた切妻屋根を持つ古い木造の家並みは、それだけで一枚の絵のようだ。
「世界の果て」と呼ばれるこの地は、文字通り地球上で最も南に位置する町として有名だが、
その地の利から南極大陸への玄関としても知られている。桟橋には瀟洒なクルーズ用の観光船や調査船が係留され、
乗客はさらなる地の果てへの冒険に胸躍らせ、この小さな街で束の間の休日を楽しむ。
世界最南部を走る列車。1896年に建設されたウシュアイア再犯刑務所の囚人により、
1902年から18年を経て25㎞の軌道が敷設された。現在では7㎞の区間が復元され、「世界の果て駅」と
「国立公園ホーム」間において一日二往復の観光列車が運行されている。
Tierra del Fuegoの南西にある1960年制定の国立公園。北はSierra de Injoo Goiyin
o Beauviorから南はビーグル水道まで6万3千ヘクタールの広さがあり、西端はチリ国境に接している。
国立公園内には、アメリカ大陸を縦断するパン・アメリカン・ハイウェイの終着点がある。
ウシュアイアの街中、港を見下ろす坂の一角にはEva Perón (エビータ)の銅像が建てられている。
「私は何も望まなかったし、何も欲しくはありません。私の誇りは夫のペロンの庇護とアルゼンチンの御旗であり、
この先もそれは変わりません。たとえ私がこの世を去ることになっても、あなた方アルゼンチンの国民が私の名を受け継ぎ、凱旋旗として掲げてくれることでしょう」
-1951年10月17日-
カタマランでのビーグル水道クルーズも楽しめる。

片道3時間半のクルーズでは、ペンギンの営巣地がある島に接岸できる。大型船では下船不可。因みにペンギンとは「白い頭」という意味らしい。
当時わずか40軒程の住宅しかなかったこの場所に1902年から建設が始められた刑務所で、1920年には独房数380に対し600人以上の囚人が服役していた。
1943年、近代病院に改修され、その後長らく海軍病院として機能する。現在では当時の面影を残す監獄博物館として一般に公開されている。
20世紀初頭から始められた各国の南極大陸調査に関する資料や、17世紀にメルカトルによって作成された地図、
フエゴ島先住民の記録等が展示されている。
フエゴ島の先住民族。6000年前から裸で暮らし、アシカを狩猟する生活をしていた。
ヨーロッパ人の渡来によりもたらされた麻疹、結核などの疫病と、文化習慣の違いから生じる争いにより現在では絶滅したとされる。
1884年に1千人いたヤマナ族は、2年後には397人、1897年には僅か110人まで減少した。ウィリアムス司教による調査では、
1925年までにその数は45人になっていたという。
1979年、市民団体HANISによって創設された博物館。フエゴ島先住民の記録を中心に、昔の商店や監獄の資料、
フエゴ島に生息する鳥類の剥製などが展示されている。
博物館巡りに飽きたら、ウシュアイア名物の蟹料理はいかがだろうか。午後9時を過ぎても沈む事のない柔らかな日差しの下、
氷の大陸に想いをはせ、ビーグル水道を眺めながらシャンパングラスを傾ける。メインディッシュはもちろん蟹三昧。
そろそろ宿へ戻る。今回泊まったのは、Hotel Villa Brecia。
ウシュアイアの空港内部は建築材に木を多用するユニークな構造だ。左側の円柱は暖炉の煙突。